2022年 第27回二宮杯全日本紙飛行機選手権決勝 私的レポート
秋元 靖史

(2022/12月 記)

【写真】ジュニア部門の表彰式の様子

 全日本紙飛行機選手権「二宮康明杯」(旧称ジャパンカップ)は2022年11月、実に3年ぶりに開催されました。

 本来第26回として行なわれるはずだった2020年大会がコロナ禍で中止。2021年大会はある程度まで地区予選も行なわれ、決勝大会を同年11月に予定したもののコロナ流行が激しくなり延期。2022年3月のその決勝も再度のコロナ患者増加のため結局中止。その間、この大会を長年支えてきた日本紙飛行機協会が主催者を降り、2022年からは有志による自主開催での運営方式となりました。
 2022年の地区予選と決勝大会は、こうした変遷を経ていわば“新生・二宮杯”の初回という節目だったわけです。

 結果から言えば、大会そのものは無事行なわれ、この大会の歴史を今後につなぐことができました。関係者の一人としてホッとするとともに、各地の協力者の皆さん、特に運営の中心となった「倶楽部原っぱ」の方々の尽力に心からの感謝を述べたいと思います。
 今回の決勝前日にはその倶楽部原っぱと協会事務局長・荒木さんを中心に各地のメンバーとの打ち合わせが行なわれ、この大会を今後も継続すること、そして2023年大会の準備に入ること等が確認されました。財政面など今後の難題も抱えてはいますが、まずは愛好者の集いの機会が続けられることを喜びたいと思います。

 迎えた11月6日の日曜は見事な秋晴れと微風という好天に恵まれ、全国から集まった各種目あわせて延べ250人余の進出者にとっておそらく、コンディション上は申し分ない決勝当日だったはずです。過去何度も会場・武蔵野中央公園(通称グリーンパーク、略称GP)を訪れた私から見ても絶好の紙飛行機日和でした。

 次に私のことと、結果にも触れないわけにはいかないですね(笑)。

 実は福島県いわき市に健在の父・秋元高義が近年いよいよ介護度が上がり、この2022年秋に施設入所となりました。
 このため私のここ数年は、コロナをにらみながら時々様子を見に実家との間を往復しなければならず、関連して様々な手続や雑用もあり、現在に至るまで手を取られる日々が続いています。



【写真】2019年の第25回大会決勝での父・秋元高義(左)。
 右は父より年上(当時も大会最年長と思われる)の愛知の門川さん。
(ちなみに門川さんは今回2022年決勝にも参戦し入賞されてます。脱帽)





【写真左】2019年決勝での筆者と父。
 親子での決勝進出はこれが事実上最後となった。



【写真右】決勝の練習時間で規定3のスチレン機を飛ばす父。
 2019年のこの時点では、まだ競技参加できる状態だった。




 もともと、毎年の夏場から初冬にかけては予選と工作教室が立て込み、それに紙飛行機フェスティバルの準備もあり、ただでさえかき入れ時の繁忙期です。2022年はそれに父のことが加わり、決勝参加はこれらをこなしながらということになりました。
 そもそも私は今年の予選を戦ったレーサー590(R590)の“虎の子”2機のうち1機(2019年の3号機)を8月の小美玉予選で喪失し、10月初旬の段階ではR590の稼働機がわずか1機。決勝に向け新造しなければならないですがそれもままならない。何とか参加エントリーだけはしましたが、それやこれやで準備に集中できる状況ではなかったわけです。

 …と、いろいろ連ねたのは要するに結果が悪かった時の予防線なわけで(笑)。

 結局R590は2機新作しましたが、ラッカー塗装ができたのは決勝直前の10月末。調整もままならぬ段階で当日を迎えました。せめてもの慰めは当日の好天ですが、しかしこれも別に私だけのものではなく皆さん共通なので、アドバンテージにはなりません。本人としてはほぼぶっつけ本番に近い感覚で規定5の決勝飛行に臨みました。

 結果は別記の通りで、5回飛行の合計114秒で5位入賞でした。


【写真提供:中谷さん】

 5回の記録を全部載せてくれた倶楽部原っぱさんにも感謝ですね。より正確に状況がわかると思います。
 今回の規定5決勝でMAX(60秒)を出したのは私と2位の本間さんの2人だけで、より高性能の規定2(R530/554/541)規定3(スチレン)がいずれも計5人以上MAXを出しているのとは対照的でした。
 私は運営係として午前中に規定2の計測員を担当したのですが、その際は計9人の選手がいたG班で計3つのMAXが出ていました。これは規定5の時間帯が正午すぎで、午前中ほど強いサーマルが発生しなくなっていたとみることができます。

 ただし上位陣と、私との差も明らかです。例えば本間さんは1回目、私は2回目と、いずれも前半でMAXを出したのですが、それ以降も安定してた本間さんに比べ、私は後がいけません。後半3回が実に平均約10秒というていたらくです。ここでせめて18秒平均ぐらいを出しておれば、もう一つ上まで順位が上がっていたわけです。
 しかし数字を見ればこれまた明らかなように、それでも上位3人には届きません。そこに至るにはまだまだ実力が足りないと言うことです。
 上位3人の成績を細かく見ると5回目までまんべんなく安定して記録を出しており、言い換えれば、50秒、60秒、という“一発フライト”に頼っていません。これは何より明らかにメンタルの差と申せましょう。


 とはいえ、自身の過去のすべての二宮杯予選・決勝を通じて初のMAXでしたし、もともと他の種目に比べMAXが出にくいR590でのそれはかなり気分の良いものでした。
 特にR590は機体が大きいためかなりの高度まで視認でき、今回は視界没になった時点では目測でおそらく高度300m以上?には達していたと思います。もちろん機体は消失ですが、会場でも何人かの方に“いいものを見せてもらった”という声をかけられました。

 GPでの視界没は何度も見ていますが、多くは北風に乗り南側の戸建て宅地や農地のエリアに流れ、運が良ければ見つかる場合もあるようです。しかし今回のケースは南風で、北側の高層団地や自動車道の密集する方へ流れており、回収の可能性はほぼゼロでしょう。機体にはいちおうメールアドレスと電話番号は書いたのですが、結局その後も連絡はなかったです。
 決勝での順位は2017年第23回大会の4位がありましたがこのときは仙台開催(当時はR590は規定6)で、地理的に参加できない方も多かったはずです。現に今回上位4人のうち2人はこのとき参加されていません。今回は紙飛行機のメッカであるGPでの開催で、そこでの5位はそれなりの価値があると思っています。

【写真】決勝の2投目、視界没になりかけを撮ったもの。
R590らしきピンぼけの機影が写っているが、これが上昇中の自分の機体か自信はない。
(視角を横切った他の機体の可能性が高い)

 ちなみに視界没になったのは突貫作業で仕上げた急造2機のうちの1機でした。この点も実は収穫で、約10年前から作り始めたR590という機種の自分なりの作り方が、ほぼ固まった手応えが得られました。「この作り方でいけば、だいたいイメージするレベルの性能にはできる」と言うことです。

 今回の2機もまともなテスト飛行ができたのは11月2日だったのですが、なんとか決勝の戦力になりました。


【写真】決勝わずか4日前、11月2日のテスト飛行で。科学万博記念公園にて。

止まったトンボはダミーでなく本物。蜻蛉(とんぼ)は古来、勝虫(かちむし)と呼ばれ勝負事に縁起が良いと尊ばれた。今思えば入賞の吉兆だったか。
ちなみに写真の機体は今回急造した2022年1号機で、決勝当日にMAXを出した機(2022年2号機)ではなく、3投目以降に使用。


 決勝大会の収穫のもう一つは、3年ぶりにトップレベルの飛行を肉眼で確認できたことです。
 特にこの大会の「自由機種」の「ハンドランチ部門」(規定22)は、ここ数年で完全に円盤投げ発進、いわゆるサイドアームランチ(Side Arm Launch, SAL)が主流になったのがわかりました。私の見た目ですが参加機の2/3以上がSALだったと見ました。
 SAL方式で発進するには機体の翼端に保持部を取り付けなければならないため、R590は規定機種の改造不可の制約ゆえSALができないわけですが、仮に今後、自由機種にハンドランチで挑戦するとしたらまずSALに習熟しないと太刀打ちできそうにありません。しかし私はSALはほとんど未経験の素人なので、少なくともこの大会で飛ばす種目は当分はR590だけにならざるを得ないと思います。


 二宮杯は、さしあたり2023年は今回と同じGPでの開催が内定しています。GPはつくばの自宅から日参できる会場であり、3回連続で決勝がGP開催となる次回は、その地の利も生かしてさらに良い飛行を目指したいと思います。

(了)